願成寺由来


当山は「弘誓山受法院願成寺」と称し、貞治四年(1363年)に創立され、旧西加茂郡の広瀬城主であった三宅一族の寺として栄えました。 昭和初期、中興開山良海日洪師は、この寺を現在の岡崎市に移転する手続きをとり、願成寺の寺号と由緒を継承いたしました。 以来、異体同心、寺檀和合にて、日蓮聖人の信仰を伝えてまいりました。


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大久保彦左衛門ゆかりの本堂


当山の本堂は、享保4年(1719年)大久保彦左衛門一族によって、尾尻長福寺に創建された御堂です。 昭和4年(1929年)に良海日洪師の手により、当山に移転されました。 平成10年(1998年)、本堂及び正面玄関の屋根は、銅和瓦葺、銅柿葺に改修され、更に、御本尊、鬼子母神堂、寂光殿(位牌堂)の修復も終え、堂内は一新されました。 平成12年(2000年)11月11日には、法華宗管長、鈴木日艸猊下を導師にお迎えし、宗祖立教開宗750年、当山開創70周年記念事業の落慶法要が厳修されました。


鐘楼堂と梵鐘


第二次世界大戦における金属不足の余波を受け、当山の梵鐘(昭和5年5月6日鋳造)は、供出されたまま、遂に戻ってくることはありませんでした。 昭和25年5月7日、新たに鐘楼堂を建立し、直径2尺8寸(約85cm)の梵鐘を鋳造しました。


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鬼子母尊神


求児・安産・育児・身体安全・家内安全・所願成就など、
法華経の守護神として、広く信仰を集めています。